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宮城県の中央に位置し、仙台市の北部副都心泉区に接している富谷町は、江戸時代、奥州街道の宿場として伊達政宗によって開かれました。仙台藩領土の南北を結ぶ奥州街道の要駅として、七北田・吉岡宿駅の中間に置かれた宿駅として栄えた「富谷新町」の雰囲気を今に伝える富谷町中心部の旧奥羽街道沿いに現役の酒蔵としては県内最古の内ケ崎酒造店があります。
かつての宿場町として栄えた「富谷町」は、今や整然とした団地群に囲まれ、仙台のベッドタウンとなっています。 「富谷」の由来は、むかしこの地に「十のお宮」があったことから「とみや」となったと言われています。現在では「日吉神社」のみが残っています。 |
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| 内ケ崎酒造の沿革 | ||||||||||||||
| 寛文元年創業。(1661年) 内ケ崎家は、戦前衆議院副議長を務めた作三郎氏、元東北電力社長の贇五郎氏ら県を代表する人材のほか、町長、県会議員を輩出した富谷一の名家で、その道のりは町そのものの歴史と重なります。内ケ崎家の初代・織部(前名・筑後)は、室町時代の黒川郡一帯を治めていた黒川氏に仕えた家老です。1590年(天正18年)、黒川氏が伊達政宗に敗れ家臣は離散、織部も農業に従事しながら閑居していましたが、1615年の「大阪夏の陣」で徳川幕府体制が確立すると、藩内の街道整備に力を入れ始めました政宗の命を受けて富谷での宿場開設に尽力し町を治める初代「検断」にも任命され、当時13戸しかなかった寒村をわずか2年で宿場町へと変貌させました。以降代々内ケ崎家は参勤交代をする奥州諸藩や松前藩の大名の宿泊所となる「本陣」も務めたことから、街道沿いは旅人で賑わい江戸後期には約80軒の店が並ぶ商人の町へと発展しました。 2代目の作右衛門の時に、仙台藩主から酒の醸造を許され酒造りが始まりました。仙台藩の儒学者・志村五城が残した碑文には「自ら作った稲で酒を醸造、その味は極めて甘味」と記されています。 1812年(文化九年)には、十代藩主伊達斉宗に献酒し、翌年には「初霜」と「初霞」の銘を賜るなど藩を代表する酒へと成長しました。藩に金や穀物を献上して藩政に協力することもしばしばで、地域住民の多くを雇い入れるなど、救民の志も厚かったとされています。1904年(明治37年)には救済事業として町内の所有地に庭園を築造、主だった産業のなかった富谷で雇用創出を図りました、内ヶ崎家別邸庭園は今では町の観光名所の1つとなっています。 鳳陽の銘柄は、「唐書」の季善感伝に”鳳鳴朝陽”とあり、その鳳にあやかり家運の隆昌を念願して命名されました。 |
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これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。
受賞歴
南部杜氏鑑評会35回連続優等賞 |
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| 昔ながらの酒造り作業・・・櫂入れ風景 | 蒸しで使っている和釜です。 | シーンと静まりかえっている造り蔵。 |